こんにちは。デアゴスティーニの古畑任三郎DVDコレクションを持っているぴよこむしです。このほど古畑が再放送されることになったと聞き、1記事書いてみようと思い立ちました。
名作ぞろいの古畑任三郎。主演は田村正和さんです。草刈正雄さんの「ゲームの達人」や木村拓哉さんの「赤か、青か」なんかが話題になっているのを横目で見つつ、今回は松本幸四郎(執筆時現在・松本白鸚)さんゲスト回「すべて閣下の仕業」をテーマに選びました。表題に考察と書きましたが、トリックの良し悪しとかミステリーとしてのできばえとかではなく、あくまで「何」が閣下の仕業だったのか、を軸に、登場人物たちのキャラクターを掘り下げてみようと思います。
この記事は物語に関するネタバレを含みます。未視聴のかたはお気をつけください。
Contents
- 1.殺人事件を起こす
- 2.隠蔽工作とほころび
- 3.自殺
- 4.事件後の関係者の処遇
- 5.閣下の生い立ち=へし折れない事件フラグ
- 6.町なかに猿のいる国=古畑召喚フラグ
- 7.ちょっとした不満のはけ口=スケープゴート
1.殺人事件を起こす
まずもってこれですね。古畑任三郎といえば、最初に犯人が殺人を犯し、いかにして追い詰められていくのかを辿っていくのがお決まりの流れです。つまり視聴者は犯人探しをするのではなく、犯人側の視点から罪が暴かれる過程を見ていくことになる。これを倒叙(とうじょ)形式などと呼ぶそうですが、この形式を取り入れて人気を博した有名作品と言えば「刑事コロンボ」シリーズです。ピーター・フォーク主演、「うちのカミさん」がやたらとセリフばかりに登場するあのドラマ。かつては金曜ロードショーなんかでよく放送されていたものですが、その「和製コロンボの決定版を作りたい」という話で脚本の三谷幸喜さんとプロデューサーの石原隆さんが盛り上がったことに端を発し、このドラマの企画が立ち上がったそうです。(「仕事、三谷幸喜の」三谷幸喜/角川文庫より一部抜粋)
さて、今回の事件。中南米某国の日本大使館にて、特命全権大使・黛竹千代(松本幸四郎)が部下の参事官・川北健(及川光博)を殺害します。贅を尽くした大使館内と対照的に、外側の世界は貧しさに喘いでいる。しかもその館内の豪奢さは、地元企業からの裏金によってもたらされたものだった。これに反発した川北がマスコミへの告発を企て、黛大使は自らの執務室で衝動的に部下を屠ってしまうのです。
大使は「閣下」と呼ばれており、タイトルの「閣下」は主にこの人を指しています。「仕業」の主幹はつまり事件を起こしてしまったことに他なりません。
2.隠蔽工作とほころび
およそさまざまなミステリー作品において、犯人は捕まらないよういろいろな策を講じます。閣下もまた、川北の遺体を隠して見つからないようにしたり、今回のことを誘拐事件であるかのように見せかけたり、大使館のスタッフ・ガルベス(田中要次)が疑われるよう仕向けたりします。ですが、黛夫人(三田和代)のわがままに邪魔されたり、スペイン語の習熟が不十分なところなどからボロを出し、結局古畑に犯人であることを見抜かれてしまうのです。
つまり、事件を隠そうとしたこと。しかし露呈してしまったこと。これもまた閣下自身の仕業であったと言えましょう。
3.自殺
古畑任三郎シリーズにおいて、犯人は古畑に促されて捕まるのが定石なのですが、この事件においてはそうはなりませんでした。追い詰められた閣下は自死を選んでしまうのです。
「死んでもいい人間なんてこの世にいないんですよ閣下」
奇しくも直前に古畑はそのように語りかけていたのですが、相反するように黛は逝ってしまいました。
仕方ないのかな、と思うのは、古畑さんにとって休暇で訪れた外国でたまたま出くわした事件だったという点。部下の今泉(西村雅彦)、西園寺(石井正則)、向島(小林隆)らと旅行中にパスポートを紛失し、大使館に助けを求めることで事件を知ることとなるのです。正式な捜査権があるわけではなく、もちろん逮捕もできないのでしょう。オープニングのスペイン語講座で古畑さんに「あなたを逮捕します」と言わせているのは、本編で言えなかった台詞を吐く舞台を用意してあげたようにも取れます。本来「警部補・古畑任三郎」なのに役どころにそぐわないことをしてしまった、だから刑事に便宜を図ったのだ、と捉えるなら、これはむしろ制作陣の仕業ですね。
ちなみに、「笑うカンガルー」(陣内孝則、水野真紀ほか)、「ニューヨークでの出来事」(鈴木保奈美ほか)、「古畑、風邪をひく」(松村達雄ほか)なんかも旅先で出くわした事件に首を突っ込む形の話です。普段の回と古畑さんたちのスタンスが異なるので、そのあたりを見比べるのもまた一興です。
保身のために部下をあやめた手で自害を選ぶ。これもまた閣下の仕業でした。この最期のシーン、脚本・三谷さんの中では、アガサクリスティ『愛国殺人』のポアロと犯人の対決や、大河ドラマ『山河燃ゆ』で幸四郎さんが演じた主人公のイメージがあったそうです。(「古畑任三郎DVDコレクション」21号/デアゴスティーニ・ジャパンより抜粋)
4.事件後の関係者の処遇
前項で記した衝撃的なシーンで作品はエンドロールと共に幕を閉じます。描き方が直接的でなく、けれども誰しもがそれとわかる表現であるため、シリーズ史に残るとてつもない余韻を残すラストになっているのですが、この後この物語に登場した人々はどうなったと思いますか?
最も落差があるだろうと思われるのは閣下の妻・黛夫人です。
この人は父親が元駐米大使で、莫大な遺産を手に入れており、自らと夫の関係を「王女様とその旦那」と言いきります。そもそも閣下が閣下となりえたのは、この女性と結婚したからでした。黛はおそらく大学も出ておらず、旅行社の社員から成りあがった型破りな人間だったのです。
だから夫人には頭が上がらない側面がある。思い付きで外交スケジュールを変えさせる、気に入らない食事にケチをつける、外交官の妻たちを招集しコーラスに興じる、など奔放にふるまう妻に対し、強く出ることができないのです。
そんなキャラクターの女性だったからこそ、伴侶の席が空いていたのかもしれません。何せ黛夫人は、夫が知事から表彰されることになっても、心からねぎらうこともなければ自分から祝いの言葉を発することすらしないのです。黛はおそらく上へ昇りつめるため、この女性と一緒になることを選んだのでしょう。被害者・川北の妻・早苗(木村多江)が誰よりも早く伴侶の異変を察し、終始夫の身を案じ続けていたのは実に対照的でした。
どうあれ黛は閣下としての地位を築き、結果として犯罪を犯し死に至ります。
全権大使の妻は当然、その立場を追われるでしょう。そしてそれまでの振る舞いが人生崩壊の前フリとなり特大ブーメランを食らう形となりましょう。お金持ちではあるので即座に暮らせなくなることは考えにくいですが、人並みの苦労をすら知らないだろう性質から鑑みるに、没落に耐えられず心を壊してしまうのではないでしょうか。自己中心的な彼女に本質的人望はありません。金銭で囲っていた従者たちも去っていくことでしょう。
興味深いのが、夫人の役名はドラマのエンドロールで「黛竹千代夫人」とクレジットされていること。事実上「王女様」だった彼女も、黛竹千代に帰属する人間としてしか紹介されていないのです。しかも、川北夫人には下の名前があったのに(クレジットは「川北早苗」)彼女は作中個人名も出てきません。「閣下」の身内として、もはやその後の転落は免れません、とお墨付きが出てしまっているかのようです。
そう。自身の人生を切り開いた妻の人生をも狂わせる。それもまた閣下の仕業でしょう。
また、閣下は外務大臣から内々に国連大使就任の打診を受けていました。こたびのことを受け、その話に関わっていた人々は一斉に掌を返すでしょう。もし現職の外務大臣に敵がいたなら、この醜聞に飛びついて失脚を目論むかもしれません。はい、これも同様に閣下の仕業となります。
日本国からすれば黛体制を一新するため、大使館の人事配置を大幅に見直すやもしれません。そうなったら、閣下の長年の友人だった若松医師(津川雅彦)や派遣員として働いていた花田(八嶋智人)、外交資料作りや身代金受け渡しで疲弊した長谷部書記官(浅野和之)、容疑の晴れたガルベスくん、資料室について教えてくれた受付の菊地女史(奈良崎まどか*1)、赤い洗面器の男のエピソードを知っているお兄さんなんかもまた、現在の職を失うことになりかねません。もちろんこれも閣下の仕業になりますね。それにしても、この世で最も健康な人種とされる外交官相手の医者は暇だ、とうそぶいていた若松が、最後の最後に殺人者かつ自殺者となってしまった友人の臨終を診ることになるのは皮肉が効きすぎています。
かつて小学校の国語の教科書に「このあと主人公たちはどうなったか考えてみましょう」的な設問が載っていたことがありました。この話のラストシーンには、そうした基本的な想像力を掻き立てる力があると感じます。
5.閣下の生い立ち=へし折れない事件フラグ
無闇に豪華な大使館は川北参事官にとって、閣下の癒着・不正の象徴だったことでしょう。ですが、閣下にとってこれはよその国家に「舐められない」ための武装なのです。閣下が部下の不況を買わないためには大使館の有り様をスケールダウンするべきでした。が、閣下は「閣下」なので部下の顔色なんて気にしません。結局、事件は起こるべくして起きてしまうのです。
さて、でははたして、後ろ暗い献金を受けてまで大使館をそこまで「盛る」必要があったのでしょうか。
ここで、この作品の脚本に書かれていたという黛竹千代閣下の人物像をご紹介したいと思います。
(略)彼は、この大使館という名の『独立国』に君臨する『王』のような存在だ。/だが一皮剥けば、彼は虚栄心の固まりであり、常に自分の将来に不安を抱え、人間不信に苛まれながら生きる、気の小さな男だ。/そして彼は見事なまでにそれを隠しおおせている。
(「古畑任三郎DVDコレクション」21号/デアゴスティーニ・ジャパンより抜粋)
豪華すぎる大使館はつまり、そのまま黛の小ささの裏返しだったのです。ここの部分については「いつになく細かく描写されたト書き」とデアゴ側が記述していたので、脚本によってト書きとやらの密度も様々のようですね。一方で、対峙する古畑は対照的な男です。武装せず(拳銃を持たず)に容疑者と渡り合い難事件を次々と解決してのけるのですから。そう考えると、勲章に固執する黛/警察手帳に頼らない古畑の対比も鮮やかです。
閣下が「そう」なってしまったのは、けれども無理もないことです。前項で触れた通り、黛は一介の旅行会社スタッフでした。そこから外務省の嘱託職員になり外交官にまでなった。ちょっとした下克上を成し遂げたわけですが、道中彼はさんざん生粋のエリート畑の人々と接点を持ってきたはずで、その経歴から「舐められた」こともあったのだろうと想像できます。言ってみれば他と対等もしくはそれ以上であろうとすることは黛にとって決死の防衛であり、哀しい習性だったことでしょう。
かたやミッチー演ずる川北は、言及されてはいないのですが、エリート街道を順当に歩んできた人物なのではないでしょうか。言葉使いが荒く詰めの甘い長谷部や、花田たちとジョークに笑い転げる菊地などの同僚たちと比べても、立ち居振る舞いが一段違うように感じます。正義感を以って上役の悪事を訴えようとするなど、世間ずれを知らないちょっとしたお坊ちゃんのようにも見えますし。
そんな川北から真っ当な「口撃」を受けたこと、更に懐柔を試みて失敗したこともまた、黛のプライドに触ったのかもしれません。そして舐めてきた辛酸と積み上げてきた人生の重みに、エリート然とした部下の反目が重なったことで、閣下史上最大の「仕業」が発動してしまうのです。
昨今「上級国民」という言葉が聞かれるようになりましたが、エリートと非エリートのような立場による格差は、資本主義社会において免れない社会構造の一端なのかもしれません。そうした理不尽を野放しにしている偉い人=権力者の総称を「閣下」と呼びならわすならば、黛のような人間を生んでしまった原因の根底として、これも閣下の仕業と呼んでもいいかもしれません。
6.町なかに猿のいる国=古畑召喚フラグ
古畑さんがパスポートを失った原因は猿でした。ホテルから出てきたところを野生の猿が奪っていったというのです。のちに猿の歯形が付いたパスポートが古畑さんの手元に戻ってくるのですが。
これがくだんの大使館に古畑が訪れる原因となり、事件の真相解明につながりました。黛は古畑に企てを暴かれた際「あなたのパスポートを盗んだ猿が実に憎い」とこぼします。この猿がいなければ「閣下の仕業」は藪の中だったことでしょう。
作中コミカルに描かれていましたが、野生の猿は人に危害を加える可能性があるため、むやみに近づいたり目を合わせたりしない方がよいそうです。くるみを割って食べるくらいあごが強いと、ドラマ内でも一応その危険性に言及していました。ですから本来制御するべき対象のはずなのですが、観光ホテルのそば及び大使館の駐車場にまで出没させている時点で治安のよい国とは言い難いとわかります。
物語序盤、大使館の外側では飢えた子供たちが次々と死んでいっている、と川北は閣下に述べています。自然と共生するおおらかなお国柄、などと擁護するには厳しいと言わざるを得ません。
この国の上層部は、そうした環境を是正できていません。せめて是正のムーブがあれば少しでも空気を変えられたかもしれないのに、人々は贅沢な大使館を擁する日本国へのアンチな感情を募らせるばかり、とても国民に豊かな暮らしを提供できているとは思えません。
もしこの国が人々を想い、きちんとしたインフラ整備に尽力していたら、野生の猿がのこのこ人々の生活空間にまで入り込むようなことにはならなかったでしょう。そして古畑さんもまた今回の旅でパスポートを奪われるようなことなく、つまり大使館に立ち寄ることなく休暇を終えていたことでしょう。
すなわちこの中南米某国のトップを「閣下」とみなすならば、今回の解決劇を生んだのは「閣下の仕業」と言い換えてもいいと思います。
7.ちょっとした不満のはけ口=スケープゴート
今回の事件、古畑さんとは名コンビの今泉くんが出てきません。西園寺くんと向島くんも然りです。「巡査・今泉慎太郎」の第12話「大空の怪事件」では3人そろって登場し、古畑さんが事件に巻き込まれている頃どう過ごしていたのかが描かれますが、いつもの掛け合いを知っている視聴者からすればちょっぴりさびしくも感ぜられます。
このあたりの古畑対犯人の1対1の構図について脚本の三谷さんはこう話しています。
やはり原点に戻ってみたかった、というのがあります。そして『歌声の消えた海』でのコロンボのように、身体一つで事件に向かい合う古畑が見たかった。
(「古畑任三郎DVDコレクション」21号/デアゴスティーニ・ジャパンより抜粋)
脚本家先生がそうおっしゃるなら仕方ありません。しかし。しかしですよ。今泉くんは深夜枠でスピンオフドラマが放映される程度には人気のある人物です。いてくれたらよかったのに、という感想が出るかもしれないことくらい予想できたのではないかしら。
それでふと思い至りました。そういうちょっとした不満の落としどころとして「すべて閣下の仕業」っていうタイトルがついているのかも、と。
どうしようもない事態に陥ったとき「異常気象のせいだ」とか、根拠はないのにとにかくいったん何かのせいにすることありませんか? 20世紀の終わり頃には「世紀末だからだ」とかよく言われてた気がしますが、そういうやつです。
というわけで、今泉くんたちと本作で出会えなかったのも閣下の仕業ということにします。いや、決して黛閣下のせいではないことくらいわかるんですけどね。ある種のケレン味として、そういうことにしちゃったりして笑 的に捉えるのもまた面白みなのかな、と思うことにします。「すべて閣下の仕業」なのですから。
…ぴよこむしでした。
はい。古畑さんふうに発音したいところですが、字面だけで風情を伝えるのは困難の極みですね。。
ミステリー作品よろしくあれこれ発想を飛ばしてみたりもしましたが、いかがでしたか? スペシャル回につき長尺なので、人間ドラマとしても奥行きを感じる一作ですから、ご存知のかたもそうでないかたも、ご覧になっていただけたらなと思います。そしてぜひ本家・田村正和さんの「古畑任三郎でした」をご堪能くださいませ。
最後にこの話にも関わりのあるエピソードとして、桃井かおりさんゲスト回「さよなら、DJ」をご紹介しておきます。古畑任三郎シリーズをなぞるならおさえておきたい「赤い洗面器の男」のエピソードが初めて登場します。4.事件後の関係者の処遇の項でもちらっと触れましたが、このネタは作中ちょいちょい顔を出すので、おさえておくとシリーズを見るうえでの楽しさがグンと増しますよ。
※記事中、一部敬称を略させていただきました。
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2024.6.15追記
どうやら今回の再放送で「すべて閣下の仕業」はオンエアされないようです。。
スペシャル回からのラインナップは「笑うカンガルー」、「今、蘇る死」(藤原竜也、石坂浩二ほか)、「フェアな殺人者」(イチローほか)、「ラスト・ダンス」(松嶋菜々子ほか)とのこと。
*1:崎は正しくはたつさき